夢中で君に恋してる

ジャニーズとレモンサワーとハラ美

誰かの正義で、誰かが死んでる。

『I like 〇〇 because I like 〇〇』問題って言ってるんですけどね、勝手に。

これ、もう、結構独り言だし、いや、そんなんいうたらいつも独り言なんですけど、多分私の性格の如実に出てすごい嫌なんだけど、まぁ今更ね、もうね、ここまで生きてると逆に怖いものがなくなってきて、怖いものがない自分が怖いって思う。 今一番怖いのは手持ちの現場がなくなることです。それ以外はかすり傷。死ぬことだってかすり傷。私が死んでも現場があればいい。日々、謎にSHOW MUST GO ON精神で生きています。SHOCKは見たことありませんし、 きっと今後も見る機会はないと思います。推しいないし。

そう、そういうことなんです。

以前、「ファンだからCMしてる商品買いますよね?」「 応援してるならCD買いますよね?」「 売れてほしいから再生数上げますよね?」 とかそういうのやめてもろてって話をちょろっとどっかでしたと思 うんですが、それの派生の話です。

 

「本当のファンならこうあるべき」


これの正解ってどこにもないと思ってて、一人の推しを推してる人が100人いたら、推し方だって100通りあって、まぁ常軌を逸脱した推し方と、自分の推し方を一緒にしてほしくはないとは思うけど、常識の範囲、と、いうか、推し方の範囲はそれぞれであって、多ステする推し方、グッツ購入する推し方、独自の解釈をする推し方、めっちゃ積む推し方、箱推し、オンリー推し、テレビで見るだけの推し方、いろいろあるし、 全部が正解なわけじゃないですか(まぁ積むのはちょっと違うかもだけど)それを人がとやかく言うのはやっぱ違うなって思うわけです。 ていうか、自分の推し方を絶対正義だと思わないでほしいなって。

私の推し方は、コンサートで応援する、テレビで見る、ざっくり言うとこんなもんです、正直。 そうなるともう超うっすい沼の上澄みをちゃぷちゃぷしてるオタクなのかもしれないけれど、でも私は推しを愛してるし、愛してるものを侮辱されるのは許せないし、許さない。それには絶対的な自信がある。でもじゃあ、CMしてるから貢献したいかと言われたらその気持ちは正直ない。 全然ないと言ってもいい。自分が買いたいものを買いたいし、ほしいなって思うものを買いたい。 買わなきゃなって思いたくない。 これってやっぱり薄情だなとは思うけど、 私には私の譲れない生活水準があって、同じCDを10枚も20枚も買うことはやっぱりできないんです。 だっていらないもん。1枚あっても困るCDを10枚も20枚も手元にあっても、いらないもん。なんとなくこれが「正しくないファン」 だとは思ってるけど、「ファンとして正しくない」 わけじゃないというか。私にとってこれはめっちゃ大事!もう宝物で手放したくない!ってものだって、その人を推してない人から見たらただのガラクタで、逆もしかり。だから、どんな推し方であってもいいじゃんって。共感してほしいわけじゃないけど、こういう人もいますよって理解してほしいし、理解したい。 何も相容れる必要はないと思う。

推し方は自由で、愛は無限で、時間は有限だから、 有限の時間内にできることってのは人によって違うから、もうやりたいようにやればいいだけなのに、やっぱり悪意のある人からぶつけられる「本当にファンなんですか?」 とかいう言葉には地味に傷つけられる。 気にしてないよって思って手のひらにぎゅうと握りしめても、親指と人差し指の隙間から、「本当に、」小指の隙間から「ファンなんですか?」という言葉がぽろぽろ零れ出てしまう。 その度に小さく傷つく。私は本当にファンなんだろうか。

私がジャニーズが好きで、でも、ジャニーズアイドル全員が好きかと言われたらそんなことは決してない。ジャニーズジュニアが好きで、でも、全ジャニーズジュニアのグループが好きかと言われたら首を横に振る。


興味のあるものしか、興味がない。


〇〇くんが好きなら、シンメの△△くんも好きですよね、とか、
〇〇くんが好きなら、〇〇くんが尊敬してる×× 先輩も好きですよね、とか、
〇〇くんが好きなら、ずっと共演してた□□ グループも好きですよね、とか、
〇〇くんが好きなら、共演された俳優さんの応援しますよね、 とか、

 

う、うるせ~~~~~~~~!!!!!

 

そんなわけあるかいって思う正直。

〇〇くんが好きなだけで、そんな壮大に周りを好きになれるか。人類みな兄弟か、博愛主義か。

いや、本当は上記になれるのが1番いいんだと思う。 担当を取り巻くすべてに愛を注ぐことができたらそれは素晴らしいと思うし、好きになるきっかけが自担発信だったらそれはもうまじで最高だし、絶対楽しいオタクライフだと思う。でも…でも私には無理だ~~ って思う。 つい最近になってやっと箱推しができるようになった根っからのオンリー担なので…。はしみずうきなすシンメは死ぬほど好きだけど、あべさくより、あべめめが好きだし、阿部くんが尊敬してるからって櫻井先輩を好きになることもないし、共演した女はもれなく嫌いになる( これはさすがにダサいからやめたい)でもこういう風にオタクライフを驀進してしまったのである。 私って、こういうオタクなのである。

だってこれってさ、関西人だから面白いこと言えるよね?とか、北海道の人だから寒さに強いよね?とかと同じじゃないですか。そんなの人それぞれ。つまんない関西人だっていると思うし(ただ周りの関西人みんなおもろい)寒さにめちゃくちゃ弱い北海道民だってきっといる(ただ周りの道民みんな寒さに強い)そうやって決めつけるのはよくないよって思う。もちろん、上記のことを当たり前のことですって思うファンもいるし、それを批判すると今度は私の絶対正義を押し付けることになるからするわけでもないし、そもそも批判するつもりもないし、だってそれぞれだもん。基本的はみんなと一緒が好きだけど、オタク事に関しては、私は私、のスタンスでいたいなって思います。金子みすゞのスタンスで。 みんなちがって、みんないい。そう思っていたい。 例え自分が痛くて寒いオタクでも私は私なのである。

こんな話を過去何回もブログでしてきたと思うし、 毎回読んでくださってる方にはまたかよって思われても仕方ないけど、今一度考えなおすきっかけになることが多くて最近。 基本的には芯がしっかりしてないオタクだから、信念もなく、人の意見や在り方を見ては、やっぱり私間違ってるよな~って考え改めてみたり、いや、 でもオタクに間違いとかなくない?って開き直ってみたり、メンタルが一向に安定しない。生涯現役メンヘラ。でも、だからといって、ジャニオタやめて~~~ってはなくて。 てかやめるやめないの概念で生きてない。オタ卒、とか聞くけど、 いや、生まれた時からエスカレーター式でオタクなので、入学したつもりはどこにもないんで、結局卒業っていう概念ないんですよね、って。 オタクってもう生活だし、生活っていやでもやめることできないし、生活そのものをやめるってそもそも考えないじゃん?それですよ。

結局めんどくさいオタクにはなりたくないと言いながら、1番めんどくさいオタクになってるのは、私だなって真綿で緩やかに首を絞めてる感じです。でも、なんか、不思議と悪くないな、と思えるのは、めんどくさい自分のこと、結構好きだからなんでしょうね。結局、本当にファンなんですか?も問われて、悩んだりしてる自分に陶酔してるんでしょうね。だって、悩む余地なく、ファンなんだもん、本当のところは。

 

 

おしまい。