夢中で君に恋してる

ジャニーズとレモンサワーとハラ美

生きにくい人生と、嵐のこと。

最近、どうも生きにくい。

 

 

基本的にそんな悩まないし、要領はいいと思うし、八方美人だし、愛想だけが取り柄だから、職場で人に嫌われることもそんなにない。

 

だけど、どうも最近生きにくい。

 

何かに不満があるわけでも、何かが心配なわけでもないし、毎日結構楽しいし、このまま平坦に人生を進んでくのも悪くないなって思ってるけど、生きにくいというか気の巡り良くない気がする。

 

 

その中でアラフェスの話。

 

嵐の配信ライブ、アラフェス2020は当初見るつもりはなかった。嵐のことは好きだったけど、しばらく嵐としての活動を見れなくなることに特別寂しいという感情もなかったし、思い入れとしては正直ゼロ。だけど、今推してる美 少年がつくなら話は別、と思って見たまでです。嵐ファンの人まじ怒らないで。

 

結論から言うと、見てよかった。

 

きっかけは美 少年だったけど、嵐としてのライブをここぞと堪能させてもらう形となりました。さすが日本の、いや、世界の嵐。まじで世の中の2/3は嵐ファンなんじゃないの?って思ってるとこちょっとあるし、世の中がやれ嵐それ嵐となってるからこそ、アラハラとかいう言葉が生まれても驚かない。嵐が世の中を動かしてるのか、とすら思ってしまうくらいの、圧倒的な存在感だった。やっぱすごいわ。まじで。構成がすごいとか、セットがすごいとか、そーいうのじゃなくて5人の存在感がすごい。勝負をしたつもりも記憶もないけど、きっと誰も嵐には勝てない。後輩グループが嵐みたいになりたいというのもわかる。わかるけど、多分、なれないよ、とすら思ってしまう。そのぐらいの何かこう、目には見えない言葉にはできない、けど確かに感じる確固たるもの、「曖昧なのに確信的な何か。」が、嵐の存在感を決定的にしてるんだと思う。これが何かはきっと人によって違うし、私みたいな嵐ファンじゃないやつが言ったところでだるいだけだから言わないけど、嵐の存在感に勝るものは今んとこないと思う。

 

そして、思わず問いたくなった。

 

 

嵐よ、きみたちも嵐として生きにくかったりしたかい?

 

 

ここ何年か、ずっと第一線を走り続け、今年をもってお休み期間に入る嵐。楽しいことだけなはずがない。ままならないことや、理不尽なことや、怒りで震えたり、悲しみに打ちひしがれたり、そんなことを続けてたら、気づいた時に20年経ったりしたのかい?恋人と手を繋いで街を歩けない、個室のないご飯屋さんは行きづらい、とか、私たちの普通が嵐には送れなかったと思うんだけど、それに対して生きにくいなと思ったりしたかい?なぁ嵐、おやすみを決めた時、おやすみを発表した時、おやすみ期間までが迫ってる今、どんな気持ちだったんだい?

 

そんな思いをぼんやりと抱えながら、気づいたらアラフェスは終わっていた。霧が晴れた気がした。嵐、ずっとずっと楽しそうだった。潤くんが、またね!と言ってた。嵐、2020年をもって活動休止するのに。びっくりした。そんなこと、少しも感じさせなかった。誰も。誰1人として。5人とも最初から最後までずっとニコニコしてた。相葉くんがボケると翔くんが笑い、二宮くんが悪戯そうに笑うと、大野くんが嬉しそう。潤くんに関しては37歳の男に言う言葉じゃないけど、本当に可愛い人だった。ただパフォーマンスをやりきって、やりきってやりきって、ラメが飛び散るように弾ける笑顔でじゃーねー!!って手振って消えた。いやいやいや、この安室奈美恵手法、ありなの?え?休止しない?え?と混乱した。だけど、混乱した後に思った。あぁ、これがきっと嵐なんだ。と。

 

話を先月末に戻すと、私は自担Gの配信を楽しんで見ていたんだけど、最後の挨拶だけはどうしても受け入れられなかった。今から好きなこと言うし、嫌なことも言うけど、ごめん。でも文章で金もらってないから、許してくれ。正直、あんな辛気臭い挨拶は見たくなかった。なんで泣いてるのかわからなかったし、なんでふざけんなと言ったのかも理解不能だった。彼らは何に憤りを感じてるのかも全然わからなかった。憤りを感じてるわけではないと思うけど、そう感じるような言葉を選んだのは彼らだし。それまで楽しかったのに、なんかこう自分の気持ちがみるみる萎んでいくのがわかった。挨拶がいらないとかそういうのじゃない。その時に感じた気持ちを正直に話すのが当たり前であって、これは私が勝手に受け入れられなかっただけであって彼らは悪くない。でもここ最近ずっと悶々としてた。誰かに聞いてほしかった。ごめん。全てを受け入れることができなくて、ごめん。

 

アラフェス、終始幸せ空間で笑顔溢れるというのはこういうことなんだよな。比べるわけでもないし、批判したいわけでもない。私が見たいライブというのはこっちだったんだな、ってシンプルにそう思っただけ。あー楽しかった!で終わりたい。寂しくさせないようになのか、それも含めて演出なのか、そんなのはどっちだっていい。今、表に出てる嵐が画面越しに幸せをくれてる。それだけで充分すぎた。ありがとうって思った。嵐、ありがとう。最後に見れてよかった。嵐のことめちゃくちゃ応援してた時代を思い出した。何年経っても、私が好きだった嵐のままだった。嵐のファンじゃなくなっても、嵐を嫌いになることはないという確信。自分の中に嵐を好きだったという記憶があるのは結構嬉しい。

 

 

1人が生きにくいと感じたら、じゃあとりあえず5人で休もっか、というそれぞれの優しさが羨ましい。私も嵐になりたい。

 

 

今、私は結構ピンチだ。

 

 

なんとなく生きにくいと思いながら、生きにくい理由が見つからず、変にもがいている。私には嵐がいないから、とりあえず休もっか、も、できない。さらに、アラフェスがよすぎて、嵐熱が上がったのに2021年からしばらく嵐が見れないことに、今更になって寂しさが募り、この気持ちを発散することも出来ず、さらに来年からの生きにくさに拍車をかけてしまった。結構ピンチだ。

 

 

でも、そんな時、嵐が言ってた。

 

 

 

泣きながら生まれてきた僕たちは、多分ピンチに強い、と。