夢中で君に恋してる

ジャニーズとレモンサワーとハラ美

淘汰の先にある未来には、果たして何があるんだろうか。

ここのところずっと「一生オタクで楽しく過ごしたい」と「めんどくさいからもうオタクから降りたい」という両極端を行ったり来たりしております。私です。どちらかと言ったらサバサバしてない根に持つタイプの女です。


自慢できることじゃないけど、昔から媚びを売ることに長けていて、こうみえて争いごとはできるだけ避けたいと思って生きています。だってめんどくさいし。だからこそ媚びれるところには全力で媚びていくし、長い物にはこれでもかってぐらい巻かれる。その反面、この人、私のこと絶対嫌いだろうなっていうのにも敏感になっていく。しかしそれに対して特になんとも思わない。よく知らない人に嫌われたところでダメージはない。「八方美人」なんて時季の挨拶ぐらい言われてきた自信がある。


だけど、やっぱり自分が好きなものを貶されることにはどうしても我慢ができないとこもある。


ていうか、そもそも目の前で私が「これが好き」 って伝えてるのに、それに対して悪く言うメリットって一体何?って思う。それってもう仲いいから許される範疇でもないし、「親しき中にも礼儀あり」って私が書してキョンシーのお札の如くおでこに貼りつけてあげたい。そこまで仲良くないのにそれ言われたら、縁なんて不透明で不確かなものはあっさり消え失ってもおかしくない。ていうか消えていいそんなもん。


なのに、それを言われても初期装備されているへらへらしてしまう自分がつい出しゃばってくるから、怒ることも悲しむことも目の前でできない。不甲斐ない。たかがアイドルのことなんだから気にしなくてもいいのに、されどアイドル。生活の軸にいる好きなアイドルのことを笑われて、悪く言われて、なんとも思わないよ〜 となるほど私の感情はまだAI化されていない。人の子だったと安心する。こんなことでしたくないのに。ひとりになって地味に傷ついていることに気付く。悲しい。 悔しい。なんなのあいつ。むかつく。趣味に負の感情だけは背負いたくないのに、結局趣味の領域を超えてしまっているんだなということにも改めて気づく。


私が誰かに好かれてるの反面、誰かに嫌われてるのと同じように、好きなアイドルだって私には好かれてるけど、他人は嫌われているのもまた事実、とはもちろんわかってる。だけど、それは嫌ってる同士で話してほしい。そこにひとりでもその子のことが好きっていう私がいたら、大人として悪く言わないでほしい。私がいなくなったら、アイドルの悪口も、私の悪口も、いくらでも言ってくれてかまわないから、 今この場で無邪気に人のこと傷つけてこないでほしい。自分の悪口を目の前で言われるより、 好きなものの悪口を言われるほうがなんだかすごく嫌だ。守れない。自分一人じゃ到底身内の悪意からアイドルを守れない。へらへらして自分を守るしかできない。それさえ、自分すら守れてない。


自分が好きなグループが1番すごいと思うのは、それはただの贔屓目であって、世間から見たら全く違う評価になるわけで、だからこそ自分が好きなグループを過信しすぎたくないなと思う。好きなグループに自信はあるけど、他のグループを公にバカにしたくない。そりゃ人間だから私だって苦手なグループはいる。けど、 そのグループを好きな人がいる前では悪く言いたくない。それはそのグループが苦手同士でやればいい。わざわざ表立って文句言う必要はどこにもないし、誰も幸せになれない。そうやって「公に他のグループを貶すオタクがいるグループ」に、大好きな彼らを成り下がせたくない。 文句や悪口を言うなっつってんじゃない。 人の好きを目の前で嘲笑うなっつってんの。 Twitterでいちいちごちゃごちゃ騒ぐなっつってんの。そんでアイドルに気を使わせるなっつってんの。ついでいうとアイドルもファンの声を鵜呑みにしなくていいっつーの。


いつまでも昔に引きずられてオタクするのもいい。新しいものこそ正義って思ってオタクするのもいい。それがあなたの好きの形なら、それは個人の勝手。否定することはない。だけどそれを押し売りしないで。私の悲しみは私のもので、あなたのものではないように、私の好きなわたしのものであって、あなたが塗り替えられるものじゃないんです。この年齢になると「 老害オタク」も増えてくるし「若害オタク」 にぶち当たることもある。そういうのが正直まじでめんどくさいから結果「オタク辞めたい」 の一歩になっているんだと思う。

 

なのに、すべてを投げ捨ててやーめた!ってなる度胸が私にはまだない。「オタクは降りたい」けど「担当は降りたくない」んだと思う。


今、末澤くんを好きになって本当に楽しいし、 これから舞台も控えてる。なにより末澤くんのことが好きだ。毎日毎日末澤くんのこと好きだって思う。今の私には末澤くんを好きじゃない明日なんて到底考えられない。オタクという生態は降りたいけど、末澤くんを降りたくない。 でも無差別に傷つくのはもううんざりだ。ともすると私はもうオタクとして外交をしないのが1番いいのかもしれないと思う。 孤高のオタクが1番性に合ってるのかもしれない。だけど、 潔くすべてを手放して一人になるには、 オタクとして楽しみすぎた。好きな友達が出来すぎた。 忘れたくない思い出が増えすぎた。


わかるよ。 私だってきっと無差別に誰かを傷つけてきたんだと思う。傷ついて、傷つけて、悲しいけど世界は助け合う反面で、そうやって回ってるんだと思う。傷つけられて、私も同じことしてきたかもなって気づかされることもある。謝りたい人だってたくさんいる。こうやってなんとなくの怒りを記事にすることで見知らぬ誰かを不快な気持ちにさせてしまうかもしれない。だから、傷つけられた私がかわいそうとは思わない。だた、傷ついたという事実は事実としてなんとなく嫌な湿度のまま体にまとわりついてる。


私が誰かに好かれてるの反面、誰かに嫌われてるのと同じように、私の推しもきっと誰かには嫌われてる。私が好きな友達も、きっと誰かには嫌われてる。地球にいる人類全員に好かれるなんて砂の中から針を探すようなものだ。

 


あなたのことが好きな人がいる反面、今日から私、 あなたを嫌いな人間側に回ってもいいですか?