夢中で君に恋してる

ジャニーズとレモンサワーとハラ美

ありがとう、静聴

私が初めてOh Yeahを聞いたのは、紛れもなく2007年夏のことである。


関ジャニ∞を降り、玉森くん街道まっしぐらの最中、 2007年は忘れてはならない私の嵐幕開け第2章が、 まさに嵐のように訪れ、そして去っていった、それがちょうどOh Yeahが収録された「TIME」のちょうどこのぐらいの夏。


「TIME」及び、前年にでた「ARASHIC」 を聞くと今でも、転職したてで、新しい仕事に行くのが嫌で嫌で仕方なかった横浜駅からの湘南新宿ラインを思い出す。いつも川崎で降りてくれるおじさんの前を陣取って、おじさんも毎朝私が乗ってくるのわかってるから、なんとなく気にしてくれて、ああ、きっとこのおじさんも大船あたりで降りてくれる誰かと入れ替わりで、この席はそうやって巡回している座席なんだなって思うと、ちょっとだけ優しさが身に染みる。


川崎で降りるおじさんのおでこにあるでかいほくろを見下ろしながら、鬱々とした気持ちを無理矢理押し切るようにいつも「TIME」 を聞いていた。おかげで太陽の世界のサクラップは完璧にこなせるようになったし、Love Situationの「…近づきたい」は電車でお決まりのようににやにやした。電車を降りるころにEverybody前進に切り替えて気持ちをあげたりしてとにかく転職したばかりの私には「TIME」 が寄り添ってくれていた。

 


めいっぱい暑い日は、Oh Yeahを聞いていた。

 


私はずっとイヤホン越しでのOh Yeahしか知らなかった。嵐が歌って踊ってるのを媒体として、1度も見たことはない。きっと今後も見ないだろう。

 


でも当時、Oh Yeahを聞いてる時の幸福感はすごかった。メロディもよければ、歌詞もいい。 どう考えたって夏のきらめきソング認定。って思って歌詞を確認したけれど、実は「夏」 という言葉はおろか、それらしい言葉がひとつも入っていない。 すごい。 メロディと歌詞を一緒にするといきなり夏景色が浮かぶロジックに驚きを隠せない。嵐が歌う姿、かっこいいだろうな、ってぼんやり思った気もした。夏の暑い日、地球をささえて歌う嵐、どう考えてもかっこいいもんな。


去年、サマパラ配信でHiHi JetsがOh Yeahを歌っていた。夏に輝く5人の成長真っ只中の男の子たちが、無観客の会場をのびのび使って、じゃれるように、競うように、弾けんばかりの笑顔を咲かせてOh Yeahを歌っていた。幸せはこんなとこにあると思った。泣きたかった。お涙曲より、ご機嫌曲のほうがよっぽど感情的になってしまう。この5人はあの日に戻っても同じ路選んでくれる気がすると、意味の分からない確信まで持った。笑顔咲かせる男の子が歌うOh Yeahに勝るものをまだ見たことない。


今年、サマスペでAぇ!groupがOh Yeahを歌っていた。バンドという武器を使い、これでもかといい顔で各々の楽器を歌わせる彼らと、手をいっぱいあげて回りに届くように歌う末澤くん。 同じようにやっぱり泣きたくなった。きっと彼らもあの日に戻れても同じ路選ぶんだろうなって思った。選んでほしいと思った。人生ってきっとそういう風にできてる。

 


「もう1度あの日に戻るとしても、同じ路選ぶだろう」

 


私はどこに戻るのかな。戻った時、同じ路選ぶ覚悟はあるのかな。

 


やっぱ前の仕事やめなきゃよかったかな~って思いながら、イヤホンから流れる「TIME」に助けてもらいながら、朝憂鬱な気分で湘南新宿ラインに乗って運ばれていった転職先に、結局10年いた。


今また違う会社にいるけれど、今、ここにいる私は紛れもなく「TIME」に寄り添ってもらった思い出や、去年HiHi Jetsに泣きそうになった思い出で出来てる。そして毎日結構楽しくやってる。嫌なことや泣きたいこともあるけれど、笑ってることのほうがずっと多い。


そう思うと、今あの湘南新宿ラインに戻されても、私は同じ道を選んで、玉森くんを追いかけ、 SnowManを好きになり、ハイ美を愛おしく思って、末澤くんを見つける。今仲良い子たちとお酒を飲んで、笑って騒いで、普通に眠る。なんだか、それが正しいことのように思える。 違う道を選んでみたい気もするけれど、多分、私、この道気にいってる。

 

 


今年から「嵐」が世界からふと姿を消した。

 


きっと世界は変わったと思う。愛を失った人もいれば、経済効果や、5人でしかできないこと、ファンのロスだってまだまだ終わってないと思う。

 


でも、私の世界は何も変わらなかった。
嵐がいてもいなくても、私の世界は今までと一緒だった。


ただ、嵐が私に残してくれたイヤホン越しのOh Yeahが、夏をちょっと変えてくれた。
自分の目で見るOh Yeahが嵐のものではなくても、好きな子たちが歌ってるOh Yeahをきっと忘れないと思う。負ける戦をしないと笑いながら、影では踏ん張って戦ってるであろう男の子たちが、いた、ような気がする。

 


自分の世界から消えたら困るもの、でも世界から見たらどうでもいいもの。

自分の世界を変えてしまうような人、でも世界から見たらとりたて世界は変わらないような人。

 

そんなもんばっかりで、大切な私が出来てる。