夢中で君に恋してる

ジャニーズとレモンサワーとハラ美

私がおばさんになっても、本当に変わらない?

私は若い男が好きだ。

 

いきなり何を言い出すんだと思うだろうが、読んで字の如く、若い男の子が何よりも好きだ。( 顔がいいのが大前提)(当たり前のことを当たり前に言う)若い男の子はいい。時間と可能性がたくさんある。その時間と可能性をどう使うかで、未来の輝き方が全然違ってくる。どうやって光が差し込んで、ここで屈折して、今までに見たことないような色で発光する瞬間を目の当たりにでき た時、にんまりしてしまう。

 

若い男の子はいい。最高にいい。

 

その子が持つ思春期の匂いを嗅ぎ取れるアイテムがあったら迷わず私は買ってしまうと思う。 若い男の子ははちみつと獣みたいな匂いがすると思ってる。 あぁ愛おしい。想像だけで愛おしい。何が可愛いって、そこにいるだけでかわいいい。 立ってるだけでかわいい。何人かでじゃれようもんなら、その空間を重要無形文化財に認定したい。 毎日のようにジャニーズジュニアのYouTubeを流し、彼らがケラケラ笑ってるのを見るだけで、花がどんどん咲いていく。咲という漢字に「わらう」と読み仮名つけた人、私と同じように若い男の子を見て思いついたんじゃない?と信じて疑わない。もちろんそんなことはないのだけれど。どんな感動する映画や、感極まる舞台より、ただ若い男の子たちが笑ってるだけで涙が出る。私の涙腺は何かが狂ってる。


そんな若い子たち、ここで言うジャニーズジュニアの皆々様が思春期ど真ん中、頭の中はえっちなことでいっぱいの、心も体も第二次性徴を迎え、日々悶々としててもおかしくないのに、ダンスに明け暮れ、与えられた仕事に打ち込み、女の子はおろか、ろくに友達とも遊べない(遊んでたらそれはそれでいい)状況で、デビューを掴むため、自家発光できるように情熱を燃やしながら、絶え間なく涙ぐましい努力をしている姿は、それこそ涙なしでは見られない。 一般の子じゃ味わえないような興奮や称賛の陰で、誰よりも悔しい思いや泣きたいほど辛いこと、そういう経験をあんなかわいい子たちがしているのかと思うと、心の涙腺が決壊。私の涙でセーヌ川作れる。青春ど真ん中をジャニーズに注いでくれてありがとう。ある意味性的搾取なんじゃないかとドキドキしてる。


さて、そんな私、自分が年を重ねることが嫌なわけじゃないし、まぁさすがに戦々恐々としてきたけれど、多分周りの同世代より年齢に頓着がないと思う。さすがに「 思ったより若いんだね!」という言葉を素直に受け取れる時期は終わり、これは絶対ライフスタイルや、身に着けてるものから出る落ち着きのなさのせいだなと少し落ち込むことはあるけど、人生で「年相応」 に見られたことがあまりない。自慢じゃないけど、そもそも私は多分『顔が若い』今ヤフーで「童顔 特徴」で調べたら、7項目中、5項目が当てはまり、人中短縮という言葉が主流になる前から、ずっと鼻と口の間が短いと言われ続け、ここまで生きてきた。童顔が嫌なわけではなく、この年になってまぁ愛嬌ある顔してるよね!って恐ろしく前向きになってはいるけれど、童顔の最大の恐ろしさ、それは突然訪れる老化だ。

 

いわゆる、老け顔と言われる顔は、なだらかに老化をしながら自然と年相応になっていくのに比べ、 童顔はある日突然おばさんになるんだと思っている。それに関しては毎日鏡を見ながら、まだ大丈夫だよね?今日はまだおばさんじゃないよね?でも明日はおばさんになる?とハラハラしている。年を重ねるのは怖くないし、年齢だけ見たら「おばさん」だけど、年齢を含まない私が私のまま「おばさん」になるのは怖い。まだ、受け入れたくない。

 

ただ、マインドはおばさんに近づいてるなと思うのが、昔、おばさんの常套句のような「若い子のエキス吸いた~い」的な身の毛もよだつあのセリフ。若い頃は何言ってんだおばさんまじ気持ち悪い…って心の底から嫌悪していたけれど、最近になってよくわかる。若い子には若い子にしかない、輝きと瑞々しさがある。そしてそれに彼らはまったく気づいていない。自分の若さに無頓着。挙句の果てに、「早く渋い大人になりたい」とか平気で言いだす。バカ野郎。今が1番旬だぞ?アボガドで言ったら真っ黒、 バナナで言ったらシュガースポットが出てるぐらいの、今が1番美味しい時だぞ?あぁ、最高。 自分の若さが武器になることも知らずに、 無邪気に振り回してる若い男の子、むしろそこが好き。エキスなんて言う言葉を使うと妙にぞわぞわするけれど、ようは元気をもらって、 私の中の細胞も少し若返ってるんじゃない?と慌てて鏡を見る。うん、今日も私、まだおばさんになってない。


きっとこれは若い男の子を毎日可愛い可愛いって愛でている間は自分がおばさんにならないと自らに魔法をかけている、ってことにしてる。 若い男の子を可愛いと思うなんておばさんになったなって思われるかもしれない。けれど、逆だ。若い子を可愛いと思っている間、 私はおばさんにはならない。 我ながら都合のいい魔法をかけたもんである。

 

私の推しだって当たり前に年を取る。気付いたら20代、 30代になっていく。いつまでも若いわけにはいかない。でも、若い頃を見ていたという事実があるから、今の推しが30代になってもきっと大丈夫だと思う。今、30歳の人と担当には絶対になれないけれど、未成年時代を見つくした流れでゆるやかに大人になり、気づいたら30歳の彼らを見るのは不思議と楽しみだったりする。本音はまだ想像はしたくないけれど。 ジャニーズジュニア22歳定年説が浮上してしまった今、自分の推しの22歳以降の顔を見られるかどうかもわからない。だったら、今の若い時期を精一杯見ておきたいと思う。推しはきっといつかいなくなる。一生も絶対も安泰も、 そんなものはどこにもない。あるのは、今ここにいる推しと、その推しの若さと、その推しを好きな私。それだけ。だったらそこによっと便乗するのは人というものではなかろうか。少なくとも私は便乗する。若い推しがかわいいことしか事実がないなら、その波に乗る。ちょっとできもしないサーフィンだってしちゃう。推しのことで一喜一憂するのは正直バカらしいと思いながら、一喜一憂の波でサーフィンとかしてみちゃったりする。おっとと~ とバランス崩しながら、夏だぜ! ってEEJUMPとかやっちゃう。私のユウキはどこだ。


とはいえ、実際、若い男の子と接する機会は皆無に近い。近いというか皆無だ。職場にいるわけでもなければ通勤時に見かけるわけでも、もちろん友達にもいない。たまに電車で制服姿の高校生と一緒になるとまるでレアアイテムを見つけたような気持ちになってしまうぐらい、普段の生活には程遠い存在。若い子にモテる術を持ってるわけでもない。というか恋仲になりたいわけではない。かわいいと慈しんでいたいだけだし、まぁ本音言えばちょっとはモテたい。 長谷川京子も言っていた。「若い男の子にも、ハセキョーなら俺つきあえる。と、思われていたいから、その範疇を離れる仕事はしない。」と。これだよこれ。最高。今日から長谷川京子マインドで生きる。紗栄子 (34)とYOSHI(17)の熱愛ニュースを見て、今後、紗栄子を師匠と呼ぼうと決めた。時を遡れば、小泉今日子亀梨和也だって年齢差20歳、 吉田羊と中島裕翔だって年齢差20愛。まったく。 小柳ルミ子大澄賢也の13歳差なんて可愛いもんである。


人は誰しも1年に1回、年齢という数字を更新する。 私だけじゃなく、家族も、友達も、恋人も、知らない人も、嫌いな人も、推しも。 すべてにおいてなんだかんだ不平等だなって思う世の中で、年を取ることだけは平等だなって改めて思う。 年を重ねて、さらに輝いてる人は大勢いる。 年齢を重ねたからくすむなんてことは決してない。ただ、敵わないのだ。若さが持ってる輝きと瑞々しさには到底敵わない。

 

先ほど、ふと鏡を見た。去年の自粛を機にまつ毛エクステをやめ、 今月からなんとなくアイラインを引くのをやめた。 チークもほとんど塗らない。どんどん簡易的になる私の顔。 若い女の子だった時じゃ想像もしてなかった、 シンプルになっていく顔。でも大丈夫、推しのことが好きな限り、 私はまだ、おばさんにはならない。

 

余談だけど、私はおじさんにモテる。友達に、また?!と言われるほど、おじさんたちは私の事が好きだ。おじさんにモテても、ちっとも嬉しくないんだよなぁ、と思いながら、おじさんから見る私は多分若い女に見えていて、若い女を好きなうちは自分もおじさんにならない魔法にでもかかってるのかもしれない。なるほど。それはとんだ勘違いだ。おじさんはずっとおじさんだよ、と思いながら、今日も、人の振り見て我が振りは直さない私なのであった。