夢中で君に恋してる

ジャニーズとレモンサワーとハラ美

涙の数だけ強くなれるなら、私今頃アイアンマンだわ。

って思うんですよね。

 

「涙は空虚をもたらした記憶を削除するシステムであり、忘却しようとどんどん泣いて、涙が収まった頃、忘却作業が終わり、新しい記憶のスイッチがオンになるのです。」

 

クラウドコレクターの一節ですが、私、この言葉が大好きで。鮮明な記憶体を持てば持つほど、大きな空虚ををもたらすから、より泣くという作業が必要となるわけです。

 

とはいえ最近いつ泣いた?と思ったら、今年はまだ1回しか泣いていない。でもとても泣いたからそれほどの記憶体なことには間違いなかった。去年はとにかくよく泣いた。だけど、なんか、私の非情を目の当たりにするようで嫌なんだけど、自分毎でしか泣けなくて。あ、映画とか書籍はまた別のお話。

 

滝沢歌舞伎ZEROが始まって、始まる前から泣いてた、始まったら泣いてた、という感想ツイートを見ながら、うわぁ、いいなぁ、と思う反面、どこか他人事…や、まあ他人事なんだけど、実際。

 

 

私、こんな長くジャニヲタやってんのに、ジャニーズごとで泣いたこと、なくないか…?

 

 

と、いう話です。

 

思えば、元担の脱退→退社も、キスマイデビュー発表の茶封筒現場でも、最近のスノ事変関連でも、私は一度も泣いていない。滝沢歌舞伎や単独コン、少年たちだって、一粒も涙の粒を落としていない。死ぬほど悲しかったし、死ぬほど嬉しかったし、死ぬほど悔しかったけど、泣いていない。スノ事変に関しては、空虚になるぐらいの記憶体が確かにあったのに。ふっかの声明ブログに心痛めたのに。思っただけで、心のどっかで、私にとってこれは泣くほどのこと?って気持ちがどっかにあったんだろうなぁ。元担の脱退、キスマイデビュー、スノ事変、確かに自分の身にも降りかかることだけど、私にとっては自分の日常がぼろぼろに崩されることじゃなかったから。多分こーいうところ、ドライで冷めてるんだよなぁ、なん、悲しい。自分のこと客観視しすぎ。無情で非情。だけど、そんなことがあろうと、私の日常はいつも通り回ってきて、いつも通り笑って、いつも通り眠る。お互いを共通認識してない人のことで涙を流すことが到底できないわけです。

 

コンサートや舞台も、一度も泣いたことがなくて…いや〜私欠陥品か何かかな?大好きなSnowManの初舞台でオープニングの艶やかさに確かに心を震わされたけど、そこと涙が直結しない。コンサートのラストの曲の歌詞にグッときても、そこと涙が直結しないのです。彼らは彼ら。私は私。というまじでザ!独立国家が身についてしまっているのか…!この悲しくもないコンサートや舞台で泣く感情は、感動の涙に1番近いと思ってるんだけど、その辺の心情まじで教えてほしい。

 

 

だって、私も阿部くんを見て泣いてみたい。

 

 

阿部くん…阿部くん…と涙を流してみたい。阿部くんを思って泣いてみたい。これ、割とまじで思ってます。単独の時、後ろで涙を落としていた女の子、歌舞伎で泣きましたというツイート、どっちもすごく美しい。私だってそっち側に行きたいのだ。好きな人を見て、好きな人を思って、なぜ泣けないのだ私は。やっぱりあれなのかな、実際に触れたり体温感じないとダメなのかな。阿部くんの体温…(じゅるり)阿部くんのこと大好きなのに、私はまだ阿部くんのことでは泣けない。

 

関西ジュニアのお兄さんの真鳥くんが前代未聞のウェブでの卒業発表をして、表側には立たず、裏方として活動することをジャニーズジュニアの立場からファンに伝えてくれて、私それすっごいかっこいいと思ったの。かっこいいというか、なんて誠実なんだろう、と。まぁ事務所には所属してるからこそら発表できることなんだろうけど、それでも新しい道筋を作り後輩にまた新たな行く先を暗示してくれるなんて、ジャニーズジュニアの最高のパイオニアじゃないかと。だけど、ファンからしたら、表舞台に立つ彼をもう見られないのは寂しくて涙が出ることなんだろうなと思うのよ。だって単純にもう動く彼が見れない。そんな寂しいことあるか、と。幸せな卒業かもしれないけれど、やっぱりファン心理としては、ねえええ!!!可愛いお顔見せてよおおお!!!(取り乱し)ってなりかねない。例えばもし今阿部くんがジャニーズには残るけど、演出として裏方に専念します!と卒業宣言されたら、果たして私は泣くのだろうか。

 

 

…泣かない気する。

 

 

ジャニーズ専属の気象予報士として裏方回ります!とか言われたらなんか笑っちゃうかもしれないわ。気象予報士の専属ってなに!そらジローしか知らんし!!って。そらジロー気象予報士の立ち位置なのかは、知らん。

 

あ、でも1回だけ涙ぐみそうだったのは、増員後最初のあべ日。あれは素晴らしかった。あれは初めて阿部くんを思って涙ぐんだかもしれない。阿部くんの言葉はいつだって暖かい春の日差しのようで、心までぽかぽかさせてくるから、卑怯な男だ。欲しい言葉を何倍にも、何十倍にもして丁寧に返してくるなんて、ずるくて恋しくて、憎らしい。(大阪か)

 

自分のこと気分屋ではないと思ってるけど、感情の起伏は激しいから、怒り始めると手がつけられないで有名です。あいつ、まじなんなの?と言い始めたら怒りのギアが入る、と、…この癖直したいわ。空虚を忘却するための作業としての涙は大人として、随分流してきたと思うし、涙の数だけ強くなるなら私は今アイアンマンだし、だけど実際は空虚を忘却する作業した分、エネルギー使い果てて、自分がどんどん弱くなってる気がする。だからこそ、阿部くんを思って、理由もわからず泣きたい次第です。忘却の意味を持たず、泣きたいです。新しい記憶のスイッチは阿部くんでオンにしたいです。美しいもの見て涙が出るのはわかるけど、涙が出る、と、泣く、では意味合いが変わる気がするし、うまく言えないけど、SnowManに感情を揺さぶられたい。

 

 

えーなんか今日私キモくない?(通常通り)

 

 

とりあえず感受性よね、感受性。感受性豊かになりたい。から、読書の春を推進してます自分に。そんで思い出したんだけど、SMAPの解散には思いっきり泣いたんだった。親が心配するほど泣いたんだった。なんだ、ジャニーズごとで泣いたことがあったんじゃん。一方的にしか知らない人たちを思って泣けたことに安心したし、私は今、それが充分に誇らしい